「祭司がそれを調べる。もし、そのツァラアトがその人のからだ全体をおおっているなら、祭司はその患者をきよいと宣言する。すべてが白く変わったので、彼はきよい。」 レビ記 13章13節

ツァラアトに関する教えです。身体にできたツァラアトと続いて衣服などに関しても告げられます。
律法の中でももっとも難しい箇所であり、誤解され、間違った運用がされたと言える律法です。
ツァラアトになると、汚れた者とされます。
そして、ツァラアトであると宣言するのは医師はなく祭司です。
祭司が直接その人を見て判断し宣言をします。

しかし、何故、ツァラアトが汚れたとされるのかは説明されません。
この時代に重い病であり、必ず完治させなければならないものであったか、あるいは周辺の国々との関係が影響しているのか、ここからは分かりません。
この13節では、からだの全体に広がり、おおったなら、それはもはやきよいとされます。

そしてイエス様が宣教の働きをされた時代にはツァラアトの人たちは町と人々から隔離され、差別されて苦しめられていました。
この律法の大切な部分が見落とされて、汚れた者であることだけが強調されて差別されたのです。
私たちは、神様のことばさえも間違って聞いてしまうのです。気をつけたい。

しかし、イエス様は、そこに手を伸ばしきよくし、彼らと交流しました。
きよさとあわれみが与えられたのです。

しかし、ここ13章で考えるべきこと受け止めるべきことは、祭司が「きよい」と宣言することです。
この13節では「きよい」と2度にわたり宣下して強調します。
祭司の本当の働きは「きよい」と宣言することです。
けがれを宣言できる者がきよさを宣言できるからです。

私たちは、自分で自分の罪を赦し聖くすることはできません。
赦しと聖さは、私の外から与えられるのです。恵みとして与えられるものです。
神様だけにそれができます。
ここでは、祭司だけがきよいと宣言する使命を与えられました。
イエス様の宣言の型を示しているだけです。

神が「きよい」とするのです。
きよくされること、聖さが与えられることを覚えたい。

シャローム