「わがぶどう畑になすべきことで、 何かわたしがしなかったことがあるか。 なぜ、ぶどうがなるのを心待ちにしていたのに、 酸いぶどうができたのか。」イザヤ書 5章4節

5章は、神に反逆し罪を重ねるユダの姿を語ります。
6節までは、ユダが神が愛するぶどう畑として例えられて、愛の歌が歌われています。
神はユダを愛するぶどう畑として選びました
そして良い土地を選んで移し、あらゆる愛情と手間をかけました。
石を取り除き、やぐらを建てて野獣や敵からの襲撃を見守り、石垣を巡らせて守りました。
そしてぶどう酒を造るための踏み場まで作られたのです。
多くの豊かな恵みを注いでくださったのです。

神はぶどう畑に最高の愛情を注ぎ最高の手間をかけました。
しなかったことは何一つ無いのです。
そして神は、そのぶどう畑に甘く良いぶどうが実ることを期待しておられました。
ところがそこには酸いぶどう、悪い果実しかならなかったのです。

酸いぶどうは、神に背き罪を重ねて悔い改めることのないユダの人々です。
神はこの後、さばきについて語られるのです。

私たちは、知っているでしょうか。
神が私をどこから選び出して、豊かな恵みの地に移してくださったのか。
愛して恵みをくださいました。
一方的に愛して恵みを与えてくださり、私が、神を愛して歩む人となることを期待しておられたことを、知っているでしょうか。
それなのに私は、神の恵みを無視し、何も与えられ無かったように振る舞い、神に背を向けて生きていました。
今、神がどれほど深く私を愛し、手間を惜しまず恵みを注ぎ守り導いてくださったのかを心に刻み。
良いぶどうをならせたい。
神を隣人を愛する人となって、一日を歩みたいのです。
シャローム