「使いたちはそれらを天幕の中から取り出し、ヨシュアとすべてのイスラエルの子らのところに持って来て、主の前に置いた。」ヨシュア記 7章23節 (2017新改訳)

7章の初めには、アイの町の攻略に失敗をしたイスラエル人の姿があります。
それはアカンという人が、エリコの町を滅ぼした時に、主がすべてのものを聖絶せよと命じたことに背き、一部のものを、自分のものとして隠したからです。
罪を取り除くための主のさばきがおこなわれたのです。

イスラエル人は、アカンの民を見つけ出し、さばきをつけます。
アカンも、罪を認めて、自分の天幕にな隠してあった略樽物を明かすのです。

さばきが行われ、石打の刑に合う前に、略奪物が明るみに出されるのが、ここ23節です。

「天幕の中から取り出し」とは、罪を自分の中ら取り出すことを、象徴的に示しています。
罪を心の奥に隠したままでは、赦しも平安も得ることができません。

「ヨシュア〜ところに持って来て」とは、罪を公にして告白することを、象徴的に示しています。
罪を自分だけで解決して、いい加減にしないことは真の悔い改めに大切です。

「主の前に置いた。」とは、主の前に罪を告白して注ぎ出すことを、象徴的に示しています。
主は、悔い改める者を赦すことができる力をお持ちなのです。

罪を告白して、明らかにし、主の前に出るのです。

アカンは、さばきを受けて石打ちに合いますが、イスラエルの人たちは赦されて、新しく歩み出すのです。
主の前に、私の心の奥底を、すべて注ぎ出して行くことは、私が平安を得て、祝福のある一日を送るために大切なことです。

おまけ
アコルの谷は、罪の焼酎として長くイスラエル人の記憶に刻まれますが、後の時代になって、主は、それをも赦しを与えて祝福の場所とすることをイザヤ書65章10節に、示してくださる方です。
驚くべき預言です。
主はどこまでもあわれみ深く、赦しを与えることを惜しまない方です。
シャローム