「この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」」 ルカの福音書 10章36節
引き続き、律法の専門家とイエスさまの間で問答がされます。
律法の専門家は、だれが自分の隣人なのかと、イエスさまに質問をしました。
この時代に,ユダヤ人にとってサマリア人は隣人ではなかったのです。
それどころかサマリア人との交流を避けていました。彼らのことを受け入れる気持ちは最初からないのです。
イエスさまは、そのような考え方と生き方をしている律法学者に、強盗に襲われた人を助けたサマリア人の例え話をします。
愛とあわれみの心を持ち,行動して襲われたユダヤ人を助けたサマリア人こそ,隣人であり、助けようとしなかったユダヤ人の祭司とレビ人は、隣人ではないことを示すのです。
隣人とそうではない他者を分けるのは、その人の心と行動です。
イエスさまに、同じようにしなさいと教えられても,最初から隣人とその他の人を分けてしまう、この律法の専門家は同じようにはできないのです。
隣人は誰かに与えられたり,決められるものではなく、自分から隣人になっていくのです。
また、隣人にしてもらうのではなく,自分から隣人になっていくのです。
それは罪人の私を救うために,人となってくださった御子の愛に倣うことです。
犠牲を払うところに隣人を獲得していくのです。
あわれみ深い人が隣人になっていくのです。
シャローム