「ヨシュアがエリコにいたとき、目を上げて見ると、一人の人が抜き身の剣を手に持って彼の前方に立っていた。ヨシュアは彼のところに歩み寄って言った。「あなたは私たちの味方ですか、それとも敵ですか。」」ヨシュア記 5章13節 (2017新改訳)
エリコ攻略の時、主はヨシュアの前に御使いを遣わします。
御使いは「抜き身の剣」を手に持っています。
これは戦いの準備が既に整っていて、いつでも切りつけ戦える状況にあることを示します。
そして「前方に立って」いるのです。
これは主が、ヨシュアの前を行き、この戦いを戦われるのだということを示しています。
ヨシュアはここで、御使いに対して、自分たちの味方か敵かと尋ねます。
その答えは「主の軍の将として、今、来た」というものです。
この戦いは「主の戦い」なのです。
ヨシュアたちの戦いの味方として来たのではなく、主が戦われることを示すために来たのです。
主の戦いを、ヨシュアが信じて従うのかが、問われるのです。
強固な城壁を誇るエリコの町の攻略は、ヨシュアにとって、試練の時です。
しかし、これは主が先立たれ、主が戦われる戦いの時にヨシュアが参与するのです。
試練ではなく、主がともにいてくださることを経験する戦いの時なのです。
この先にエリコ攻略という問題が立ちはだかるのではなく、主の将が抜き身の剣を手に持ち、勝利を与えようと立っているのです。
私たちは試練の時に、主の将を目撃し、その抜き身の剣を目撃する信仰の目が必要です。
そして一歩近づく信仰を必要とします。
シャローム