「それは、地のあらゆる民が主の手が強いことを知るためであり、あなたがたがいつも、自分たちの神、主を恐れるためである。」ヨシュア記 4章24節 (2017新改訳)

ヨルダン川を渡り終えた民は、川の真ん中から取った12の石をギルガルに積みます。
いわゆる記念碑を作って、子、子孫に今日の出来事を教えて聞かせるためです。
水量がいつもより多かったヨルダン川の水がせき止められて、そこを渡って約束の地に入ったことを教えるのです。
そのために実際に渡った川から取った石を積むのです。
この石も、通常ならば取ることができな場所にあった石なのです。
各部族が、取った石を肩に担ぎます。
担ぐほどの石の大きさなのです。

しかし、それは特別なことが起きて、ヨルダン川を渡ったということを教えるためではありません。
主が、自分たちに何をしてくださったかを教えます。
主が、恵みを与えてくださったことを教えます。
主が、約束を必ず果たすことを教えるためです。
それは同時に、主のことばに従わず、主に背き、偶像礼拝に走るならば、主のさばきを受けとることになることを教えます。

彼らは石を担いで持ってきました。
それは丁度、主が彼らを担いで川を渡ってくださったかのように感じます。
主が、そのように民を守ってくださったから約束の地に導き入れてくださったのです。
そのことを忘れないように、主に従い通すことを明らかにすることが、石を積むことなのです。

恐れるとは、怖がって恐れるのではなく、主を愛して従い通すことを言うのです。
主を信じることに、いつも緊張をもって信仰生活を歩むことです。
それが主を恐れることです。
それが主を御霊と真理によって主を信じることです。
シャローム