「こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めについているので、落胆することがありません。」コリント人への手紙 第2 4章1節
3章の内容を受けて「こういわけで」と、語り始めます。
主の福音を伝えること、イエス様の愛を証しすることが、私たちの務めです。
主のあわれみを受けて、私は罪が赦されて神の子どもにしていただきました。
取るに足りない者であった私であり、本来ならば罪の結果として滅びに向っていく私でした。
それなのに、主が愛して選び出し、あわれみによって救い出してくださった。
報酬ではなく、対価でもなく、あわれみによって本当ならば受け取れるはずもない大きな恵みをいただいたのです。
そしてこのあわれみを受けた人は、救い出されただけではなく、神の使者となって務めが与えられました。
福音を知らせ、愛を証しする務めです。
主が、あわれみによって与えて、送り出してくださった務めなのです。
ですから、その実り、結果も主が導いてくださるのです。
失敗した、上手くはいかないと落胆などしなくてよいのです。
私の能力ならば良くできるはずだと、主は、私を務めに就かせたのではなく。
主が、良い務めと良い結果を備えてくださっているから、私をこの勤めに就かせてくださったのです。
ですから、私は主のあわれみを無条件に喜び、受け取っていきます。
この務めは希望があり、落胆することがありません。
この務めは、日曜日の礼拝から、毎週新しく始まっています。
シャローム