「ただ、聖霊がどの町でも私に証ししていわれるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。」使徒の働き 20章23節

コリントの町での騒ぎがようやく収まると、パウロは次の町へ移って行きます。
しかし、その道中には危険があります。
教会の友人たちの支援を受けて旅を続ける中で、パウロが人々に福音を語り、聖霊によって示されていることも語ります。

パウロは、この後も一つの町には留まらないで旅を続け、やがてローマに至ることを知っています。
そしてその旅について、パウロのこれからについて示しているのが、この23節のことばです。

「鎖と苦しみが私を待っているということです。」
パウロの働きと旅には、これからも危険があるのです。どのようにしてもそれはあるのです。
鎖は、無実の罪で訴えられて投獄されることと、働きが邪魔をされることを示します。
苦しみは、文字通り身体と心が痛めつけられる経験をすることを示します。

多くの富を得て、人々の称賛を受け、平和に過ごせますと、示されていないのです。
困難ばかりが待ち受けていると聖霊は示すのです。
極端な言い方をすれば、これからますます酷い目に遭い、苦しむことばかりだということです。

そんな先を教えられ見せられて、パウロはどう思うのでしょう。
心が萎えてひるみ、避けようとするでしょうか。
否。

その鎖と苦しみに向かいます。そこにこそ喜びと平安があると受け止めているのです。
待ちかまえている困難、苦しみではなく、パウロが見ているのは主イエスと再会するゴールです。
主のために仕えきる毎日です。
それは鎖にも苦しみでも、パウロから奪えません。
私たちも、向かうべきゴールをしっかりと見て歩み続けたい。
その道には鎖と苦しみが私を待っていたとしても、主がともにいてくださるのです。その喜びは誰にも奪えない。

シャローム