「「さあ、来たれ。論じ合おう。 ー主は言われるー たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、 雪のように白くなる。 たとえ、紅のように赤くても、 羊の毛のようになる。」イザヤ書 1章18節

16節では、消極的に罪を働くなと勧めました。
17節では、積極的に公正を求めて良いことをするように勧めました。
この2節を受けて、神、主が論じ合おうと、招きます。

論じ合い、話そうというのは凄いことです。
神が対等の立場で罪人と向き合ってくださるのです。
神は論じ合おうと招くと同時に、悔い改へと招くのです。

人の罪を赤く染まっていることに例えます。
緋のように、紅のようにと、ことばを変えて繰り返すことで、その罪の深さを示します。
しかし、悔い改めるものは、その赤さが、雪のように、羊の毛のようにしろくなると、教えます。

招き、言葉を交わしてくださる主の前に悔い改めて、赦されたきよい者として、歩みを始めたいものです。
主の愛の招きを無駄にはしたくありません。
シャローム