「主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。主よ、心に留めて事を行ってください。」ダニエル書 9章19節
王が代わり、いよいよ捕囚の民となっているユダヤ人が解放されてエルサレムへ帰還することが実現する日が近づいたことを知ったダニエルは祈ります。
捕囚からの解放の希望を持って祈ります。
そのとき、ダニエルは悔い改めの祈りから始めるのです。4節からです。
そしてここ19節では、3回繰り返して祈っています。
主が、必ず捕囚の民を解放してくださることをダニエルは信じています。期待して祈っています。
それでも、いえ、それだからこそこのように祈るのです。
聞いてください、お赦しください。心に留めてください。
与えられた律法を守ることをしなかったユダヤの先人たち、主の御声に聞き従わなかった先人たちがいました。
それでもあわれみ深い神が、赦しを与えてくださることを知っているダニエルは祈らないわけにはいかないのです。
主が、赦してくださるのが当然なのではない。
主が、ダニエルの、ユダヤ人の祈りを聞いてくださるのは当然ではないのです。
主が、御心に留めてくださらなければ、解放も赦しも与えられません。
それでも主に期待し、祈るのです。
聞いてくださると信じていますけれど、聞いてくださいと、口を切るしかないのです。
3度も繰り返して主が折りに答えてくださることを信じて祈るのです。
信じて、期待しているからこその祈りなのだと教えられます。
シャローム