「ああ、神の目には月さえ輝きがなく、星も清くない。」ヨブ記 25章5節

このことばは、神様の清さと栄光は他に比べることはできないことを表しています。
神様の栄光の前に並ぶことができる人など、誰一人として存在しないのです。
夜空に美しく清く輝く星であっても、神様の前にはその輝きも清さもかげるのです。
ましてや罪人が、何を訴え、主張しても、それは空しいだけなのです。

その通りなのです。
しかし、神様の栄光と清さを例に上げて、ヨブは清くないと断じるのは間違っています。
何故なら、友人のビルダデも、神様の前には同じ、清さも栄光もない人に過ぎないからです。
そう、友人がヨブを責めることはできません。責める必要もなかったのです。
2節で、ビルダデが語るように、神を恐れ、神様のご支配の中に私たちがいることを認めることは正しいのです。
しかし、だからヨブは罪人で罪を犯しているのだと責めることは別の問題です。

栄光の中の栄光、清さの中の清さを持たれる神様を見上げる時に、本当ならば神様の前に立つことはできないはずなのに、今、私たちは清くない自分が神様に見捨てられた者ではなく、清くないのに愛されている者であることを思い起こしたい。

神様のきよさは罪を受け入れることができないのです。しかし、神様はあわれみ深いので、さばくよりも赦しを与えることを、願ってくださる方です。
忍耐と寛容の心で待ってくださる方だからこそのきよさなのです。
私は神様のきよさを求める者でいたいのです。

シャローム