「”私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。』 マタイの福音書 18章33節

王様は負債のある家来が、到底返済できないことを知った時に、可哀想に思い負債を免除してやりました。
王様に許された家来は、今度は自分に負債のある人に対して無慈悲に返済を迫って、苦しめたのです。
それを知った王様は、この33節で「おまえをあわれんでやったように」と、彼が許されたのは、王様のあわれみの心から出ていることを示して、彼をさばきます。
あわれみによって許された人は、自分もあわれみの心持って、隣人を許す人になるべきなのです。
隣人を可哀想に思わないのは、自分がどれほど大きな愛とあわれみによって、神様に許されたのかを知らないと言うことです。

愛を知らない人は、愛することも知りません。
そして実際に愛する行動、生き方が分からないのです。
イエス様の愛を知り、あわれみを経験した人となって、イエス様に倣う人となっていきましょう。

シャローム