「私たちは、あらゆる点でモーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。どうかあなたの神、主が、モーセとともにおられたように、あなたとともにおられますように。」ヨシュア記 1章17節 (2017新改訳)

今日からヨシュア記を読みます。
創世記から申命記までの五つの書のことを「モーセ五書」あるいは「律法の書」と呼びます。
そしてヨシュア記はモーセの後を継いだモーセの従者であったヨシュアの働きを通して、カナンの地を実際に占領して行く様子を記します。
もちろん、戦いもありますが武力による略奪という占領ではありません。
主がこの地を与えるという約束が先にあり、この地に住む者たちが主の前に罪を重ねてきたことによってさばきを受けてくということです。

モーセの後に立てられた後継者ヨシュアの最初の時を記すのが1章です。

主は「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない」と、最初にヨシュアに命じます。
そして主が、ヨシュアに与えた約束は「モーセとともにいたように、あなたとともにいる」ことであり「見放さず、見捨てない」ことでした。

ヨシュアは立てられた最初に、各部族に向かって果たすべき使命について語ります。
これも恐れずに語るのです。(2代目は初代の指導者と比較されやすいのですがヨシュアは恐れません)

ヨシュアの声に答えた民の言葉から大切なことが二つあります。
1つは。
モーセに聞き従ったように、ヨシュアにも聞き従うという告白です。
ヨシュアをモーセと変わることなく尊敬して立てていくということですが。
もっと大切なことは、モーセとヨシュアを通して語られる、語られ続ける主のことばに聞き従いますとの、告白です。
このことが一番大切です。
指導者に付くのではなく、主に従うのです。
これはパウロもコリントの手紙第1の1章12,14節で語っています。大切なことです。

二つ目に。
主がヨシュアとともにいてくださることを望んだことです。
望んでいる言葉ですが、この言葉は、ヨシュアとともに主がいてくださることを確信している言葉でもあります。
こうして自分たちが主とともにいつも歩めていることを告白して生きることが、私たちには大切です。
他の何かが与えられることよりも、主がともにいてくださることを喜び、力とするのです。
シャローム