「だが見よ。私が前へ進んでも、神はおられず、うしろに行っても、神を認めることができない。」ヨブ記 23章8節

ヨブは16節では「全能者が私の心を弱くされた。全能者が私をおびえさせられたのだ。」と口にしています。
今、ヨブは神様を見失っています。
病と度重なる大変な出来事、事件によって、すべてを失ったしまったヨブを、友人たちは誰も慰めることもできず、励ましてもくれなかったのです。
そのためヨブは神様を見失ってしまいました。

「神はおられず〜認めることができない」とは、全能の神様を信じなくなったというのではなく、神様が今、ヨブと共にいてくださらないと、思っているのです。
しかし、この言葉が口に上ってしまうことが、今のヨブの弱さとともに、信仰が萎えてしまっていることを現しています。

また4節では、神様に言い分を並べて、訴えたいと、言います。
そうではないのです。
このような苦しい時にこそ、友人にも見捨てられたと感じるこの時こそ、祈るべきことばがあります。
「主よ。私をあわれんでください。」
自分の正しさを訴えるのではなく、罪人で弱い私をあわれんでください。愛してくださいと、祈るべきなのです。

もちろん、苦しい時、悲しい時に、私自身ができるかと言えば、それは難しいと答えるのが正直なところです。
ですからこそ、私たちはいつもの朝に、変わらぬ夜に、主のあわれみと助けを感謝とともに祈ることを身につけておきたい。

ただ、言えるのです。
私が、神様を見失っても、神様は私を見失うことは決してなく、神様は私を決して見捨てない。

シャローム