「「ルベンは生きて、死なないように。 その人数が少なくても。」」申命記 33章6節 (2017新改訳)
モーセが自らの死を目前にして語った各部族への祝福の言葉です。
シメオン族が抜けています。やがてユダ族に吸収されていくからでしょうか。
いずれにしても、モーセはその時のことだけではなく、将来に向けての祝福を語ります。
最後の言葉は、自分のための言葉や要望ではなく、隣人であり、友人であり、神の家族である各部族への祝福の言葉です。
このような言葉を自分の最後の言葉とできるような歩み方をしたいものです。
ここではルベン族への励ましの言葉があります。
人数が少なくても、祝福が減ってしまったのではなく、人数が少なくても、主の前に生き生きと生きるようにとの言葉です。
ただし、この言葉が語られたときにはまだ、ルベン族は決して人数が少ない訳ではありませんでした。
これもまた、将来のことを指しているのです。
人数が少なくてもとは、他の部族と比較しているのです。
しかし人数の多い、少ないではなく、主の前に自分がどのように生きるかを問いかけ、励ましているのだと思われます。
生きるのは、豊かさ、大きさ、多さなどを問題にするのではなく、主の前に生きることが大切なのです。
私は生きているか。
主の前に生きているか。
主の前から去っていないか。
主の顔を仰ぎ見ているか。
人数、豊かさを気にして、他人の顔を見て、生きていないか。
モーセの贈ってくれた言葉を大切にしたいのです。
モーセは、最後まで「主のしもべ」として生きました。それを主は祝福し誉めてくださったのです。
私もまた、そう生きたいのです。
シャローム