「神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。」コリント人への手紙 第2 1章20節

第2の手紙を読みます。
パウロは第一の手紙を書き、またコリントの教会を訪問して、間違った生活をしている人たち、特に倫理道徳的に間違った生活をしている人たちに厳しい言葉で教えてきました。
そして悔い改めた人があり、パウロは喜んだのですが、一部の人がまだ、悔い改めないでいるので、再びこの手紙を書きました。
ですから、この手紙の前半には感謝が記され、後半の10章以降には厳しい言葉が並びます。

そんな手紙の冒頭の1章では、パウロはキリストの苦難と慰めについて、語ります。
信仰者であるパウロとコリントの教会の人々が、苦難に遭うならば、それはイエス様が受けた苦難と同じ苦難を経験しているのであって、苦難をむしろ喜ぶほどだと、伝えます。
その苦難は脱出の道が備わっているのです。
その苦難を通して、周りの人を救いにと導けるのです。

そして主は、苦難から必ず救い出してくださり慰めてくださる方だと教えます。
そして教会の人が、パウロたちを苦難から救い出されるように祈ってくれるならば、神の救いはより早く、確かなものとなり、多くの人が感謝を主に捧げることになると、信仰者の歩むべき道を示します。

そんなパウロと教会の人が歩むべき道は、既に定まり、完成していると、ここで示します。
神の約束はことごとくですから、すべてが完全に「はい」となったのだと、教えます。
完全に完成、成就していると、教えるのです。
父なる神が、私たち罪人を救い出し、永遠のいのちを与え神の子とし、終末の日には神のみ国にイエス様とともに住む者としてくださり、地上の生活のおいては、歩むべき行うべき良い行いさえも備えていてくださると言う、その約束です。
それはイエス様が、十字架で死に三日目に復活をされたことで成就したのです。
完了していることなのです。未完成ではありません。

そして十字架の救いを信じて信仰者となったコリントの教会の人々は、パウロと同じなのです。
信仰者、そして伝道者、使徒と同じ心で「アーメン」その通りですと、告白して神様の栄光を現すのです。

私たちは、日々の生活の中でパウロと同じ心となり、パウロと同じ宣教と主イエスの愛の証しをする者となって「アーメン」と、言えるようになりたいものです。
私がそれを行えるように、イエス様はすべてのことを備えてくださり、それは既に「はい」となっていることを信じて、今週も歩みたい。
シャローム