「どうか、私たちの父である神ご自身と、私たちの主イエスが、私たちの道を開いて、あなたがたのところへ行かせてくださいますように。」テサロニケ人への手紙 第一 3章11節
10節で、テサロニケの教会の人のことを思って熱心に祈っていますと書いたパウロですが、次の11節からは実際に祈っているのです。
この手紙は口述筆記で記されましたから、熱心に祈っていますと語るうちにパウロは実際に祈りに入っていくのです。
パウロの祈りとは、このように朝に夕に、いつも祈っています。
パウロはテサロニケの人たちに対する心配がありますから、本当は何をおいても飛んで行きたいのです。
しかし、パウロは父である神と主イエスの導きを求めます。
自分の計画と思いだけではなく、主のご計画に従って歩むことこそが、実はテサロニケの教会の益になって行くと信じているのです。
神に委ねていけること、そこに平安があることをパウロは知っているのです。
それでもなお、心配しているので、いつの間にか手紙は祈りそのものになっていくのです。
神に祈って委ねていきます。
そして委ねて歩みながら、さらに祈っていくのです。
どんな道が開かれるのか、期待があります。
祈りの中で期待できる、そんな祈りを私たちも経験していきたい。
シャローム