「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。」使徒の働き 16章25節
囚人はパウロとシラスの賛美をどうして聞こうと思ったのでしょう。
真夜中の歌に驚いたのですか。
歌声で眠りを妨げられたのならば、怒ったとかうるさいと叫んだという反応でしょう。
聞く、それも聞き入っているというのは、囚人がもっと聞きたい、何の歌だろうかと心を向けているのです。
投獄された日の真夜中に神を賛美する人は、それだけで主を証しして周りの人を慰めるのです。
初めにどのような祈りをしたのでしょうか。
牢獄でも、真っ暗な中でも、祈りと神への賛美はできます。自由です。
無罪を訴えるより先に、祈り賛美することが、パウロの口を開かせたのは、聖霊がともにいてくださり、導いてくださっているのです。
そしてその助けは力があります。
パウロとシラスを助け励ますと同時に周りの人も慰めるのです。
ですからこの後、鍵が開いても他の囚人は逃げ出しません。
最初にパウロは、積極的に川の祈り場に行き、リディアに福音を語りました。
主は、彼女の心を開いてくれました。
投獄された夜は、福音を語ることができませんが、祈り賛美できました。
主は、囚人たちの心を開いて賛美を聞き入るように導かれました。
主を信じる者には、時にかなったするべきこと、開くべき口があるのです。
その始まりはいつも祈りと賛美です。どこででも、いつでもです。
そして賛美とともにいつも主がおられ、助け導いてくださる。
心から賛美は励まし、慰めと、信仰の確信を与えてくれるのです。
シャローム