「しかし、もし彼女に羊を買う余裕がなければ、二羽の山鳩か、二羽の家鳩おひなを取り、一羽は全焼のささげ物、もう一羽は罪のきよめのささげ物とする。祭司は彼女のために宥めを行い、彼女はきよくなる。」 レビ記 12章8節
12章の規定は分かり難いと感じました。
何故、出産をしたときに、女が汚れたこととなるのかは示されないまま、するべきささげ物の規定が語られているからです。
出産したのが女の子であれば、男の子の場合よりも長くきよめのための期間が取られていますから、出産した後の健康への配慮もあるように感じます。
しかし、大切なのは、罪のきよめの期間とささげ物をすることです。そしてその子への割礼をします。
どの子も、産まれた時から罪ある者だと自覚する意味もあるのです。どれほど可愛くても罪があることを両親は、ささげ物を通して確認するのです。
同時にそこには主のことばに従うことと、主の赦しがあることも覚えるのです。
ここ最後の言葉には、貧しい人のために、手に入りやすい動物でのささげ物をすることが許されています。律法にはこのような配慮もあります。
しかし、免除はされません。必ずささげるのです。
主のことばには、地上に生まれたその時から従い通すことが求められているのです。
いけにえの動物の細かな規定までありますが、それは主のことばに一つづつ正しく従う姿勢が求められていることを示すのだと思います。
主の命じる律法には、そのことばに従った先に赦しと神とともに生きる喜びが備えられています。
私たちには、モーセの律法ではなく、イエス様のことばが与えられています。
契約は更新されていますから、私たちは動物はささげません、しかし、与えられているイエス様のことばに丁寧に従っていきたい。
シャローム