「地の上に、これと似たものはなく、恐れを知らないものとして造られた。」ヨブ記41章33節
41章になると、神は突然「レビヤタン」という生き物について語られます。
ワニにも似た動物のようだと表現されることもあるようですが、現代風にいうならば「怪獣」といったところでしょうか。
当時の人々が恐れた海に住む生き物のことです。
レビヤタンと言われれば、人々が思い起こすことができる恐ろしい姿と力があったのでしょう。
神は、その姿を示し、それを捕えることができる人間はいるのかと、問います。
レビヤタンを捕獲し、契約を結び支配下に置くことができる人間はいるのかと、問います。
ワニにせよ、猫にせよ、動物と契約を結ぶことができる人間はいません。
これらの生き物を、神が言われる完全な支配下に置くことなど、人間にはできません。
神は最後の33,34節で、そのレビヤタンも含めてすべてのものを造ったのは神であり、神が統治、支配しておられることを示されます。
神の創造主、主権者としての力の大きさが分かります。量り知れないのだと、分かるだけですが。
この地上に、地があり、海があり、空があり、そこに生き物が存在します。
そのすべての存在を知ることは私たちにはできません。
知らないのです。レビヤタンのことなど知らないのです。
その恐ろしい力のことなど分からないのです。
そんな私には、神が私に対しておこなうこと、示すことは分からないのです。
分からないのは、恐れます、不安がありますと、謙遜に告白し、神のことばを待つ。
しかし、黙っているけれども神の助けと導きを期待する。
試練の中で、聞き漏らさないように静まることを神は示されているようです。
しかし、このような苦しみが長く続き、周りの友人からも責められる中で、黙っていることなど人にはできません。
最初に素晴らしい信仰の姿を見せてくれたヨブにさえできないのですから、私もできなくて当然のことと思います。
できない自分を知ることが、まず、最初に私が学ぶべきことなのでしょう。
それを学ぶ時に、神の恵みと助けが確かにあること、試練の中にあっても神の恵みはなくならないことを知ることができるのだと、ヨブの姿を見て味わっておきたい。
それにしても、この長く深い苦しみ試練は、いつまで続くのでしょうか。
希望を持つこと、持ち続けることが、どれほど大変かと思います。
しかし、キリスト者には聖霊が共にいてくださり助けてくださるのです。
恐れを知る者として、イエス様を仰ぎ見て歩みたい今日です。
シャローム