「今、イスラエルよ、私が教える掟と定めを聞き、それらを行いなさい。それはあなたがたが生き、あなたがたの父祖の神、主があなたがたに与えようとしておられる地に入り、それを所有するためである。」申命記 4章1節 (2017新改訳)
モーセは、この後ヨルダン川を渡り約束の地に入って行くことになる次世代の若者たちに、主から与えられた律法を教えます。
彼ら若い世代は、実際に律法が付与されたときを経験していないのです。
ですから最初から律法を知っており、律法の元で暮らしてきました。
それは幸いなことであると同時に、自分のために与えられた特別な律法であるとの思いには希薄であったかもしれません。
そのため、あなたのための律法であると、教えたのです。
真剣に、素直に律法のことばを聞き、従うことを教えたのです。
ここで心が留まったのは「教える」ということばです。
主がモーセを通して与えてくださった律法は、人々を縛り服従させるための決めごとではありません。
主が約束してくださった恵みと祝福を受け取って幸いに生きるために、与えられたことばです。
律法もまた与えられた恵みだと言えます。
もちろん、律法のことばの中には、イスラエルの民と信仰者が、してはならないことを示すことばもあります。
けれども、幸いに生き祝福を受け取れるように導くために、主が教えてくださったことばなのです。
私たちが、自分の力と小さな知識と経験だけでは知り得ることができないことを含めて、主は、私のために教えてくださったことばなのです。
守れと、主は私に命じるのではなく、わたしに教え導くために律法をくださった。
愛してくださっているから、教えてくださったのです。
私は、主から聞くことができたことを喜び、従いたいのです。
シャローム