「十日ほどたって、主はナバルを打たれ、彼は死んだ。」サムエル記 第一 25章38節

ダビデは逃亡生活の日々でも正しいことをしていました。
当時の慣習に従って、羊を飼う者たちを守っていました。
そして、羊の毛を刈る時には、助けた者は報酬とでも言うべき恵みを受け取るのが通常でした。
しかし、ダビデたちが助けたナバルという人は、よこしまな人で強欲でした。
ダビデがサウル王に追われているのを批判するばかりか愚弄して、恵みを分け合うことをしなかったのです。

ダビデは自分に従っている若者を馬鹿にされたことに怒り、ナバルを討とうとします。
その時、それを止めたのは、ナバルの妻のアビガイルでした。
彼女は、ただ取りなそうとするのではなく、主がダビデを守っていることを訴え、ダビデもまた、主の前に正しいことをする人なのだと語ります。
同時に夫のナバルを責めるだけではなく、自分にも罪があると告白して、ダビデの赦しを求めるのです。

ダビデは、アビガイルの言葉を聞いて、怒りを静めます。
ダビデもアビガイルも、主の前に正しく歩もうとする人でした。
そして、ナバルだけが主の恵みを感謝することなく、強欲でよこしまな行動をとる人だったのです。

十日という時間の後、主はナバルを打たれました。
ナバルは悔い改めることがなかったのでしょう。

私たちは、時には正しいことをしているのに、理不尽な扱いを受けることがあります。
愛をもって行動しているのに、悪意で返されることがあります。
その時、怒り、悲しむ心が湧き上がるのは当然です。しかし、怒りの心で行動するのは自制するべきです。
何故なら、主は、主を愛して正しく行動する人を守り、祝福してくださるからです。
主の時があります。
ナバルが十日後に打たれたように、主の時を信じて待ちましょう。
穏やかにそして忍耐して待つことを自分の行動としたい。

必ず主の助けがあり、必要なアビガイルのような助け手も、主が送ってくださるから。

シャローム