「〜あなたがたは、わたしのしもべヨブのように、わたしについて確かなことを語らなかったが。」ヨブ記42章8節後半

ヨブ記の最後の章です。「ヨブの回復と祝福」です。ようやくここまで来ました。
ここには、大きく三つのことがあります。

1.神は友人たちを叱責される。8節。
神は、40〜41章と突然介入されてヨブに語られました。
ヨブが自分の義を主張したので、神の、全能性と主権、統治性について問われました。
厳しい問いらかけでしたが、叱責、怒りではありませんでした。問われるのです。
そしてヨブは、6節で悔いて悔いて、これからも悔い改めていきますと答えるのです。
神は、ヨブの答えを受け取られ、喜ばれています。
しかし、友人たちには厳しい叱責のことばを与えて、ヨブに執り成してもらうように命じるのです。弁明の余地も与えられません。

2.ヨブは信仰を心の問題ではなく、現実に生きる信仰として告白した。5節。
5節で、ヨブは「見ました」と、答えるのです。
現実に信仰に生きている告白です。
自分の生活の一部にだけ、信仰があるのではなく、信仰に生き、信仰を現実のものとしている告白です。
そして悔い改めをハッキリと告白します。新しく信仰に生き始めています。

3.神は、ヨブを祝福される。最高の繁栄を、ヨブの全生活において与えます。
神はヨブを「しもべ」と呼ばれます。8節。
モーセのことも「しもべ」と呼ばれました。最高の評価であり誰よりも親しく思ってくださっていることばです。
この呼び方が既に祝福です。
そして神はヨブの苦しみを回復し、祝福します。
しかも、ヨブが自分を責めて苦しめた友人のために執り成しを祈りをした後に回復と祝福を与えます。
周りの人々に、神さまがヨブを回復させ、祝福させているのかがが良く分かるのです。
そして神がヨブを愛されていることも分かります。

神は、ヨブをこの試練の前に比べて倍の祝福を与えました。家畜、財産は倍になりました。
子どもたちは、以前と同じ子どもが与えられました。事故で亡くなった子どもたちは、神さまの御手の中にあるので、人数は合わせて倍になります。
ここにも神さまの全能性が現れます。ヨブからも神さまからも子どもたちは失われていないのです。

そしてヨブの兄弟たち、知人たちもヨブを祝福するためにやって来ます。
神さまの御手は彼らにも届いており、神さまは彼らを通してもヨブを祝福するのです。
統治者である神がヨブをすべての面で祝福していること、神の手が届かない分野はないことが分かります。

十戒では、神を憎む者への呪いは三代、四代に及ぶと示されましたが、ヨブは自分の四代目までも祝福されたのを目にしてから眠ります。
ヨブの祝福が非常に大きいことが分かります。その祝福のことばをもって、ヨブ記は閉じるのです。
神は、ヨブを満ち足りた生涯であったと、語られるのです。17節。
試練も迷いも、すべてを含んで、神さまはヨブの生涯を満ち足りたものとし、祝福しています。
神さまがいつも共にいてくださった恵みは決して失われていなかった。

42章まで、一緒に読んでくださって感謝します。ヨブ記はかなり重い心となる書です。しかし、それも含めてヨブ記を読めることも私たちの祝福であり、神さまが私たちに与えてくださる恵みと祝福です。
今も、コロナ感染の影響下で、苦しいこと悲しむことが多くありますが、神さまの祝福は私たちから奪われることはなく、この先の私たちの生涯ももっと神さまの祝福と繁栄が備えられていると信じてられるヨブきでした。
私も、ヨブに倣い信仰を現実の毎日に表していきたいと祈っています。
シャローム