「イエスはペテロに言われた、「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」」ヨハネの福音書 21章22節

ティベリア湖畔でもう一度姿を表してくださったイエス様は、打ちひしがれ、まだイエス様を裏切ったことから立ち上がれないままのペテロに語りかけてくださいます。
「あなたはわたしを愛していますか」
裏切ったペテロには、他の弟子たち以上に愛いしていますとは答えられるはずがありません。
しかし、イエス様は三度も愛していますかと、問われます。
他の人との比較ではないのです。

見返りなど求めない無償の愛、最上の愛でイエス様がペテロを愛していることを示されているのです。
その上で問われます。
イエス様に愛されていることを信じますかと尋ねているのだと思います。

最上の愛、十字架で命を捨てるほどの愛で愛してくださるイエス様に、私たちは友愛の愛、自分の中から生み出した愛で答えようとしますが、上手くいきません。
愛されていることをそのまま受け入れて喜びことから始めなければならないのです。
それはイエス様に従うことです。

興味深いのはここでヨハネのことを名前では語りません。
「愛された弟子、この人、彼」とだけ表現します。
しかし、イエス様は初めからずっとシモン、ペテロと名前を呼ぶのです。

私は唯一人の大切な人としてイエス様に愛されています。
私は、私の従い方があります。そこには私使命もあります。

最上、最高の愛で愛されています。返せる愛など私には持ち合わせていません。
けれども、私はイエス様に従うことができます。
愛されているから従っていくことに躊躇はいらないのです。
「はい。私は従います」これが私の愛の言葉になるはずです。

シャローム