「あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。自分を義とするため、わたしを不義に定めるのか。」ヨブ記40章8節

神はヨブの不義を指摘されます。
ヨブが自分の義を、強く訴えるならば、それは神を不義とすることなのだと、神は語られます。
ヨブが病となり、子どもたちを失い、財産もすべて失い、友人たちからも責められて苦しんでいます。
しかし、ヨブがその試練のすべてが義なる神さまか来るものだと信じるならば、ヨブは黙っていることができます。
再びヨブは黙って、すべてのことを受け取れるのです。

ここでいうさばきは、友人たちが責めたようなヨブの隠れた罪に対するさばきではありません。
義なる神さまから来るすべてのものを言います。

ヨブが、再び自分の義ではなく、神さまの義を信頼して歩むなら、ヨブの不安、悲しみは神さまによって回復していただけるのです。
神さまは15節から御箇所で「河馬」を例に出して、河馬を造り、その生活を支えているのも神であることを示されます。
河馬が生きるところのすべてのものは、義なる神さまから来るものです。そこには悪いものは一つとしてありません。
神さまが大切に支えてくださるのです。
それならば、神の義に信頼して歩む信仰者に神さまが悪いものを与えることはないのです。

自分の義ではなく、神の義をいつも見上げて信頼すること。
これこそ、苦しい時に私たちがするべき唯一のことです。

日曜日の朝を迎えます。
義なる神さまが、私たちをよい礼拝に招いてくださいます。
まだまだコロナの感染の影響で制限も多くあります。
しかし、不安ではなく、神の恵みを数えてよい、豊かな礼拝を期待して集まりたいと願っています。
新しい一日、新しい週、新しい礼拝が始まります
期待して、主の声を聞きましょう。
シャローム