「彼らに戦いを仕掛けてはならない。わたしは彼らの地を、足の裏で踏むほどさえも、あなたがたには与えない。わたしはエサウにセイルの山を、彼の所有地として与えたからである。」申命記 2章5節 (2017新改訳)
荒野の旅の行程が記されます。
主は、イスラエルの民に進むべき方向を示されます。
北の方へ行けと、命じる主は、そこがエサウの子らの所有地であることを示されます。
そして、5節では戦いを仕掛けるなと、4,5節を通じて語ります。
その上で、6節では必要な食物は、エサウの子孫からお金で買うことを命じます。
その理由は二つです。
イスラエル人に対しては、必要の一切は主が満たす。
これまでも、今日も、明日も満たすので、主に信頼して歩めということ。
ですから、ここでは必要な物は購入するのです。
そうやって手に入るからです。
そしてそれがただしい方法なのです。
何故なら、もう一つの理由があるからです。
ここはエサウの子らの所有地であり、安心して住むべき地として、主が与えたからです。
エサウとヤコブの双子が産まれる前から、主は二人の子らを大いに祝福すると約束をされました。
もちろん、アブラハム、イサクの後を引き継いだのはヤコブですが、ここ5節にもハッキリと記されるように、主がエサウに与えた物を、誰も奪うことはできないのです。
主は、約束を変えません。
エサウの子らが、やがて主に立ち帰ってくれることを、主は望まれ、待たれています。
その日まで、主は困難ではなく、祝福と恵みを注ぎながら、エサウの子らを導かれるのです。
イスラエルの子らは、エサウの子らもまた、主に祝福されている様子を見て、自分たちがもっと恵みを受け取り、愛されていることを知るのです。
そして主に従うのです。
ですから、ここでも主のことばに従うのです。
戦いを仕掛けるな。
彼らから、買って食べよ。
主は、あなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがない。7節。
主に信頼する者は幸いなのです。
シャローム