「御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」」 ルカの福音書 1章28節
1章の続きです。
歴史上、一度だけ起きた出来事です。
神である御子が、完全な人となって、地上に生まれるという出来事です。
それも31節、35節によれば聖霊によってマリアが身ごもると言うことです。
一昨日に見た、エリサベツが高齢になっていたけれども身ごもると言う事実とは、まったく別の出来事が、まだ、この時14歳とも言われるマリアの身に起きたのです。
続く30節では御使いは「恐れることはありません」と、13節で祭司のザカリヤに語りかけたのと同じ言葉を掛けます。
しかし、その言葉の前に御使いが告げたのは「おめでとう」なのです。
(別訳に「喜びなさい」と記す聖書もあります)
何をおめでとうと言うのか。
マリアが、恵まれただからだと、言います。
そして、しゅがあなたたとともにおられるからだと、言葉を続けます。
しかし、厳格に律法を守る当時のユダヤ人の女性が結婚前に身ごもる事実が、恵まれた、喜ぶことなのか、マリアの戸惑いは計り知れません。
マリアの経験したことが、私たちには起きることはありません。
しかし、時に主から私に与えられる恵み、祝福と言うものは、私の日常においては恐れるようなことがあるかも知れません。
私が願っていることとは、まったく別のこと、むしろ避けたいと思ってしまうようなことさえも、主から届くのかも知れません。
ここでは、御使いはマリアの家(部屋の中)に、入って来ました。
主の恵みとは、私の人生、日常に飛び込んでくるものなのです。
私が願うから与えられると言う恵みばかりではなく。
主からの恵みは、主からの一方的なプレゼントとして、おめでとうと言って届くものがあります。
しかし、それこそ主が私とともにいてくださるからこそ、与えられるのです。
私は、主が与えると言って注いでくださる、その大きな恵みを素直に受け取る準備がいつも祈りの内にできているだろうかと、思う朝です。
シャローム