「あなたの考えによってか。鷹が舞い上がり、南にその翼を広げるのは。」ヨブ記39章26節
神は、人が有益に用いる家畜とは違う野生の動物のことを例に出して問われます。
神の力、神の愛と人の力との違いを示されます。
ここでは、鷹が飛ぶのは人がそのように教えたからなのかと問い。
鷹が飛ぶことができるのは、人がその力を与えたのかとも問い。
鷹の力は人の考えや手によるものなのかと、問われるのです。
また、南に翼を広げるとは、渡りの習性があることを示すのかも知れません。
鷹にそのような習性があるのかどうか、或いは、南へ飛ぶ意味を知っているのかと、問いかけておられるのかも知れません。
いずれにしても、鳥の中で空高く跳び、人が捕えるのも難しい鷹の力は、人の考えや手の及ぶものではありません。
しかしその力や習性は神が鷹に与えたものです。
神が、鷹をそのように造り、生かしておられるのです。
人の知ることもできないことと、すべてを知り、与えておられる神との違いが明確に示されます。
私たちは、空の高いところを力強く飛ぶ鷹を見ても、神の力を知り、神を賛美することを覚えることが大切です。
この地上に生きるものを見る時に、その背後に、それを造られて愛されている神の存在を知ることができる心を持ちたいと思うのです。
その心は、謙遜に神に従う生き方へと通じています。
それはまた、私が神に造られて愛されている存在であることを知り信じる心でもあるのです。
大切な心です。
シャローム