「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。」ガラテヤ人への手紙 5章16節

ここでは、パウロは強く肉の欲望に注意するように命じています。
その肉の欲望とは、特に律法に関することです。
なにも隣人のものを奪ったり、破壊するような罪を指しているのではないのです。
特にパウロが警告するのは、割礼に関することです。

割礼を受けることは良いことだからと、ユダヤ人以外の人たちに割礼を受けさせようとする人たちがいたのです。
モーセの律法に規定されていることだからとか、良いことだからと言って勧めるのです。いえ、強制するのです。
しかしそこには、自分たちが異邦人よりも優れていると言う思いや、正しいことを行っているという意識があります。
しかし、律法では完成することはなかった罪の赦しと永遠のいのちの約束はキリスト・イエスを信じることで与えられたものでした。
それは決して変わることがありません。
その信仰に何かを人の手で付け加えることはできません。
信じた人に与えられる神の御霊は、そのようなことを導くことはないのです。

神の前に良いことをしているつもりであって、それは実は自分の正しさや優位さを満足させたいと言う思いがあったのです。パウロはそれを指摘します。
キリストへの信仰とキリストへの愛以外のものは、自分の欲望、肉の欲望なのです。

御霊が導いてくださるのです。
御言葉に触れ、御霊に導かれているならば、日々の生活の中で肉の欲望を満たそうとする誘惑に惑わされることはありません。
今、私に与えられ、私たちの間に働いてくださる御霊に満たされていきましょう。
そこから、必ず良い実が結ばれます。

シャローム