「しばらくして、妻エリサベツは身ごもった。そして、「主は今このようにして私に目を留め、人々の間から私の恥を取り除いてくださいました」と言い、五か月の間、安静にしていた。」 ルカの福音書 1章24,25節
今日から、ルカの福音書を読みます。
本書の1章の1〜4節は序文とも言うものです。これは、同じルカが執筆した「使徒の働き」1章1,2節の序文にも通じる言葉です。
聖書を手にした人、とくにユダヤ人ではない人たちが旧約聖書から続く神、主の約束とその実現が真実であり、どのようにして成就していったのかを、良く理解できるように記したものです。
他の3つの福音書には見られない特徴です。ルカの熱意と信仰が現れていると思います。
ルカは、イエスさまが公に活動を始められた時に、その先駆けとして大切な働きをしていた「バプテスマのヨハネ」と呼ばれるヨハネの誕生について細く丁寧に記してくれました。
主が、御子であるイエスさまが地上に生まれる時に、このように備えをして私たちが御子を信じることができるようにしてくださっていたのです。
それはまた、主が、ヨハネの父と母となる祭司ザカリヤと妻エリサベツを愛してくださり、祝福してくださっていることが分かる出来事でもあります。
6節には、二人が神の前に正しい人であったことが記されます。
同時に、人々の間では、妻エリサベツが不妊の女と呼ばれていたことも記されます。
人がどのように見て評価するのか、しかし、主はその時、どのように見ておられるのかを示すことばです。
エリサベツの告白の通り、主は二人に目を留めていました。それは愛して、祝福を注ごうといつも見守っていたくださったということです。
もし、望んでも子どもが生まれなかったとしても(それは夫婦には辛いことでありますが)主の祝福は注がれています。
この時は、主は年寄りとなっていて不妊の女性と呼ばれているエリサベツとザカリヤを用いて、主の祝福と言うものが、人の考えや想像を遥かに超えて超えて大きなものであることを現してくださったのです。
その恵みは、あまりにも大きく最初はザカリヤ本人も信じられないほどでした。
私たちにも主は変わらない御心とご計画を、私に持ってくださっていて、今日も目を留めてくださっているのだということを覚えたい。
バプテスマのヨハネはあら野で叫び、主を証ししました。
私たちは現代と言う、この当時にはなかったあら野で主を信じて証ししましょう。
主は、今日も変わらない愛であなたに目を留めておられます。
シャローム