「それゆえ、神である主はこう言われる。わたしは燃えるねたみをもって、ほかの国々とエドム全土に告げる。彼らは心の底から喜び、思い切り嘲って、わたしの国を自分たちの所有とし、牧場をかすめ奪ったのだ。」エゼキエル書 36章5節
エドム人とイスラエルの周辺の国々は、エルサレムが崩壊する時に、とんでもない勘違いをし、思い違いをし、罪をおこなったのです。
主は完全な義の方ですから、エルサレムの住人、イスラエルの人たちの罪も見逃されることはありません。彼らが悔い改めないので、主は、エルサレムをさばき、バビロン帝国を主の剣として、一時的に用いました。
しかし、主はエルサレムとイスラエル人を愛してくださっており、見捨てたりしません。
罪の中に引き込まれないで、残されたわずかな民がいることを主は喜ばれ、守ってくださる方です。
しかし、ここでエルサレムの崩壊に乗じて、イスラエル人を苦しめ、イスラエルの地を自分たちのものだと主張して奪っていったのがエドム人たちでした。
しかし、エルサレムとカナンの地は主のものです。真の所有者は主なら神です。
(もちろん、本来は全世界も主のものです)
ここで主がエルサレムの罪をさばいても、その地をエドム人が自分のものにすることはできません。
主は、一時的にもエドムにエルサレムとカナンの地をお任せにはなりません。
この時、エルサレムの崩壊の時に、エドム人は、主のものを盗んだのです。
牧場をかすめ取ったとは、主のものを盗んだことを言います。
主が溢れるばかりの愛を注いで豊かな恵を与えているエルサレムの地域のことを牧場と表現するのです。
それをかすめ取って、自分のものだと主張する罪をエドムはおこなったのです。
エルサレムがさばかれるのを見て、エドムも罪を悔い改める機会とすべきでした。
ところが彼らは、主を侮り嘲って、罪を重ねて、主から盗みを働いたのです。
私たちは今、見るべきものを見て、聞くべき主のことばをしっかりと、そして素直な心で聞いて自分の取るべき態度、行動を決めていきたいものです。
日曜日です。最初に礼拝を献げて、主のことばに聞くことから七日の旅を始めたい。
シャローム