「人々はこれを聞いて沈黙した。そして「それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。」使徒の働き 11章18節
エルサレムに住むユダヤ人たちは、ペテロが割礼を受けていない異邦人と交流を持ったことを非難します。
それまでの常識や習慣に慣れていたユダヤ人には驚きと受け入れられないことだったのです。
しかし、ペテロはカイサリアでの出来事は聖霊が働かれたことを語ります。
神は異邦人を分け隔てすることなく、聖霊を与えてくださったことを告白すると、人々は沈黙するしかありません。
そして人々の口は、非難ではなく神への賛美へと変わりました。
宣教が異邦人に広がっただけではないのです。
いのちに至る悔い改めが、異邦人にも与えられたのです。
大切なことが三つあります。
神は分け隔てをする方ではありません。
そして、悔い改めは、神が私に与えてくださらなければ、罪人の私が、罪を認めて悔い改めることはできないのです。
神の恵みは、そこから始まっています。
三つ目は、悔い改めた人には、誰も漏れることなく聖霊が与えられるのです。
その人の周りには、やがて非難や迫害の声は止み、神をほめたたえる声が広がります。
そこにはいつまあたえられた聖霊である神様がともにいてくださいます。
シャローム