「不法に向かわないように注意せよ。あなたは苦しみよりも、これを選んだのだから。」ヨブ記36章21節
エリフは、続く22節で神を教師と呼びます。
エリフの神理解の立場がこれです。
神は呼ぶに試練と苦悩を与えて、教え導こうとしているとの理解です。
そして18節からこの21節にかけてエリフが語るのは、苦悩の果てに神が導こうとしている先には、二つの答えがあるとの理解でもあります。
一つは、悔い改めて神の祝福を得る道であり、もう一つは、滅びへの道です。
エリフは今、ヨブが食い改めるのではなく、自分の義を主張して神に挑戦していることを問題にしています。
それなので、繰り返してヨブに悔い改めを迫り、ヨブの態度が間違っていることを指摘するのです。
でもやはり、ヨブの苦しみを共有、共感する心がありません。
問題です。
エリフはいつの間にか自分を教師の立場に置いているようです。
ただ、26節からの個所に示される神が全能で創造主であり、いと高き方であることを認めて、神から来るすべてのものを受け取るということは正しい言葉です。
そして創造主である神の姿は、この後、神が38章からの箇所で示される神の姿を少しだけ先取りしています。
それでもエリフの態度もまた、問題があります。
私たちは、神のことを知りえない。
けれども神は、私たちが神を求ることを望んでおられ。同時に、神から来るすべてのものを受け取ることを望んでおられることは確かです。
苦難の中でこそ神を求め、神のことばに聞くことができる者でいたい。
シャローム