「イエスが彼らに「わたしがそれだ」と言われたとき、彼らは後ずさりし、地に倒れた。」ヨハネの福音書 18章6節
5節と8節でもイエス様はご自分が何者であるのかを問われて「わたしがそれだ」と答えられました。
ギリシア語で「エゴー・エイミー」と答えられました。このことばは、出エジプト記3章14節で神がご自分から名乗られた「わたしは「わたしはある」という者である」と、いう名を名乗られたということです。
罪の中で、悪意を持って真の神であるイエス様に近づいた人たちは、その名を聞き、神様の臨在のほんの一端に触れて、倒れたのです。
罪人である私たちが、罪を前面にして神に近づくことなどできません。
一方で、父なる神様のご計画の遂行を願うイエス様は捕えられ殺されることが分かっていても臆することなく、ご自身を現されます。
神様が、私たちを救うためにご自身からその名を明らかにしてくださるという、恵みの瞬間でもあるのです。
この後、逮捕されたイエス様の後を密かに付いて行ったペテロは、イエス様の弟子なのかと問われて、三度否定します。
27節では簡潔に「ペテロは再び否定した」と記されています。
自分の存在を自分から否定したのです。恐れ臆したのです。
「わたしがそれだ」と私たちを救うためにご自身を明らかにしてくださるイエス様の愛が現われています。
一方で「弟子ではない、知らない」と自分のためにイエス様を捨てるペテロの愛の無さが現われています。
それは私の愛の無さ、そのものです。
しかし、そんな私のためにイエス様はきてくださり「わたしがそれだ」と、私を愛してくださるのです。
「わたしがそれだ」とのイエス様の声を聞きたいと思う朝です。
シャローム