「あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様に、 風の道がどのようなものかを知らない。 そのように、あなたは 一切を行なわれる神のみわざを知らない。」伝道者の書 11章5節
ここでは2度「知らない」と語り、私たちにはこの地上世界で知らないことがあることを教えます。
繰り返して教えるのは、知らないことを認めることが大切だからです。
「妊婦の骨々のこと」とは、母の胎内で胎児の骨がどのように作られ組み立てられていくのかを知ることはできないということです。
また「風の道」とは、風がどのようにして生まれて、どこへ向うかを知ることはできないと言うことです。
これは発生のメカニズムを知らないと言うのではなく、人には風を支配することはできないことを示すのでしょう。
また「風の道〜」は別訳で「いのちの息吹がどのようにして入るのかを知らない」と記す写本もあります。
こちらの訳を「骨々」と合わせて読むと、骨、肉が母の胎内で作られると言うことではなく、人の命そのものが、いつ妊婦の胎内で生まれるのか、何日目に、何時間目にその骨はいのちの息吹を得たのかを、人は知ることはできないということです。
それは即ち、後半のことばである「神のみわざ」を知らないに通じるのです。
いのちを与え、いのちを取られる神、主がおこなわれるすべてのことを私たちは知ることはできないのです。
現代となって風の発生について知ることができるようになったのでしょうか。高気圧が低気圧と共に云々というメカニズムのことを知ったところで、それは本当に知ったことにはならないでしょう。
神が何故、風を造られて地上の世界に置かれたのか。
骨々の作られ方、順序など、神のご計画、みわざを知ることはできません。
創造主である全能の神のおこなわれることを知ることはできないのです。
地上におこなわれる神のわざと、そこにある神の愛の一切を知ることはできないのです。
しかしそんな全能の神が私を愛してくださっている。
今、知っています。
知らないことがある。それを認めることが神の愛を知ることにも繋がっています。
それを知ることは、他のどのような知識を得るよりも大切で意味があります。
シャローム