「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になりました。」コリント人への手紙 第1 9章19節
パウロはこの時、コリントの教会の偽教師たちから、教会外での仕事のことについて、非難されていました。
教会の奉仕の他に仕事をして生活のための収入を得れば、それを非難されました。
正式な使徒ではないから働くのだと、いう非難でしょう。
働いても、働かなくても非難されるのです。
しかしパウロは、そのような的外れの非難や攻撃には、少しも臆することがありません。
そのような非難を逆手にとって、自分の使徒としての使命について、熱く語るのです。
パウロにとって、聖書の福音を伝えることは、自発的な行為であり、報酬のためでもなく、なすべき使命なのです。
そのためにはパウロは何でもするのです。
パウロは罪から解放された自由人であり、この世の制度上においても自由人です。
しかしパウロは、より多くの人が福音を聞いて、イエス様を救い主と信じるようになるために、すべての人の奴隷になったなのです。
それは自分の喜びのためにではなく、隣人のために仕えると言うことです。
奴隷ですから、隣人に福音を伝えることを、最優先でいつでもおこなうために力を注ぎます。
奴隷ですから、すべての人に福音を伝えるためには、自分の持つ権利を用いません。
伝えることがすべてであり、反対に伝えないことはわざわいです。
罪から解放されているという自由があります。これは素晴らしい恵みです。
この恵みを知っている人、味わっているパウロは、なんでもできるのです。
自由を自ら捨てるという自由を行使してでも、福音を伝えることをします。
そのために自らが不利な状況になったりすることを厭いません。
すべてはキリスト・イエスを愛しているからするのです。できるのです。
自分の自由を叫ぶより、福音を叫ぶことを選びます。そこに喜びと平安があります。
シャローム