「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」 ルカの福音書 5章32節

当時のユダヤ社会では、取税人や罪人と呼ばれる人たち(取税人は支配者であるローマ帝国に協力する人なので罪人とみなされています)が存在しました。
律法の教師や祭司たちは、罪人と呼ばれる人とは、一緒に食事をしたりしません。
互いの家を訪問して客となることもありません。
しかし、イエスは取税人のレビに対して、ご自分から声を掛け、交流を持ちました。
そのためパリサイ人や律法学者は、イエスを批判するのです。
罪人と交流し、汚れを招くということでしょう。

しかしイエスさまは、そのような人が勝手に作り出した常識を覆します。
神の前には、すべて人は罪人なのです。誰ひとりきよい人ではない。
イエスさまは、その罪人を愛して、神の元に招くために地上に来たのです。
神の方から罪人との交流を望んで、犠牲を払ってくださっているのです。

招かれたことを知り、その招きに応答した人は、悔い改めて義とされます。
そして神の子どもにしていただくのです。
そのために神であるイエスさまが、ご自分から来てくださったのです。

私たちを愛して。
私たちを罪から救うと言う目的を持って。
来てくださったのです。
私は招かれたことを嬉しく思い、その招きに応答します。
シャローム