「貧しい者は決して忘れられることがなく 苦しむ者の望みは 永遠に失せることがない。」詩篇 9篇18節

9篇から10篇へと、本来は繋がっているようです。
虐げられている者が、主の公正なさばきがおこなわれることを願うと同時に、彼を苦しめる者から主ご自身の手によって救い出してくださるようにと、祈る詩篇です。
詩人を虐げ苦しめる者は驕り高ぶっています。
けれども詩人は、苦しみの中から主の助けを確信しています。

虐げる者が力を誇ったとしても、彼らはやがて必ず滅んでいくのです。
それは自分自身の手で、滅びを招き、自分の足で滅びへと向かって歩むのです。

しかし解決や助けがないように思える時が続いても、詩人には望みがあります。
主の助けがあることを知っています。
ここで貧しい者と言うのは、イエス様が「幸いな人よ」と、教えてくださったのと同じ「貧しい人」のことです。
神、主がいてくださらないのであれば、自分だけでは貧しく欠けがあることを知っている人です。
常に主を慕い求める人は、決して主が忘れることはなく、恵みから漏れ落ちることはありません。

苦しむ人とは、自分では解決ができないことを知っている人であり。
主にこそ望みがあり、助けは主からのみ届くことを、信じて待ち望める人です。

苦しい時にこそ、主に希望を置き、主を待てる人は幸いです。
主はその人を決して忘れず、いつも見ていてくださるのです。
主から注がれる愛と恵みは、詩人から失われることはありません。

私たちもまた、主を待ち望む、心貧しい者です。
シャローム