「傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」ペテロの手紙 第一 1章19節

ペテロの手紙を読みます。
手紙の最初にペテロは信仰者の実生活の歩み方について示します。
それは金が精練されることに例えられるような、試練を経験して、より確かな信仰者となり、救いの恵みを確信する生き方です。
それはまた聖いイエス様の歩みに倣っていくことです。

何故そのような歩み方をするべきなのか、何故それができるのかは、救われた最初のことに関係するのです。
19節は一つ前の言葉「銀や金のような朽ちる物にはよらず」に続いて語られています。
この言葉は、銀や金でできた偶像を拝むことでは救いを得ることはできないことを示します。
偶像を崇めるのではなく、汚れのない小羊として、ご自分をいけにえとして献げ、私の罪を身代わりとなってくださったキリストを信じることによると、19節は教えます。
罪人であった私のために身代わりに死ぬという尊い血を流してくださったイエス様の存在。
そのイエス様の業によって私は救われたのであり、自分の行いではなく、偶像を拝んだことでもない。
最初にキリストの犠牲があって救われたのだから、私たちが歩みべき道もイエス様によって示されている。
そして最初にイエス様の犠牲があったのですから、私たちがイエス様に倣って歩みたいと求めるならば、それは可能なのです。

スタートがイエス様によるのであり、その歩むべき道もイエス様が見本となって既に現してくださっているのです。
ですから、私たちが精練されていきたいと、歩みたいと求めるならそれは可能なのです。
既にイエス様によってそれは保証されています。

ですから今日もイエス様に愛され、イエス様を愛する者として、聖なる者となっていきたいと求めて一日を過ごしましょう。

シャローム