「しかも、もし君主が自分の相続地の一部を、贈り物として奴隷の一人にあたえるなら、それは解放の年まではその奴隷のものであるが、その後で君主に返される。ただ息子たちだけが、相続地を自分のものとすることができる。」エゼキエル書 46章17節

君主と民衆の、宮でのささげ物の規定について語られてきた後、突然、相続地について語られます。
君主の息子は、贈られた相続地を自分の所有地とできますが、君主が愛した奴隷に贈った相続地は一定の期間だけの贈り物となります。
解放の年とは、七年の安息の年を7回重ねた次の年、五十年目のヨベルの年と呼ばれる特別な年です。
奴隷も解放されます。
土地も本来の所有者に返されます。借金の代わりとして渡された土地も、本来の所有者に返されるのです。
それは土地の本当の所有者が神、主であることを覚えるためです。
それが一番大切にして覚えるべきことです。

ここでは、君主である民の代表の土地は息子には所有権を渡すことができても、他の人、奴隷には渡せないことを教えます。
あくまでも借りるのです。
それは主が、私たちを息子として扱ってくださり、主のものをすべて自分のもののように使用していくことが赦されている特別に愛されている存在であることを知るのです。

本来、この世界のすべてのものは主のものです。
しかし、主は私を愛してくださり、主のものを息子が所有して用いるように、使用することを赦してくださっている。
恵みの中で、私たちは、主からいただいた物をささげ、主を礼拝し、恵みの中で生活しているのです。
特別に愛されていて、贈り物を受け取っていることを覚えたい。
神様に愛されている子どもとして。

シャローム