「自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない。それは、王が自分の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばと、これらの掟を守り行うことを学ぶためである。」申命記 17章19節 (2017新改訳)
イスラエルで王として立てられたのならば、自分の側に仕えさせるレビ人の祭司に、律法の書を書き写させて、手もとに置くように命じます。
主は、その律法の書を近くに置いて、良く学ぶように命じるのです。
王は、律法の書、即ち、主のことばに自分が従い、そして律法の書に従って、民をさばき、導かなければならないのです。
王としての力を振るうのではなく、王が率先して主を恐れて従うことで、民を導くのです。
そのために必要なことは、主のことばを良く学ぶことです。
では良く学ぶためにはどのようにしたら良いのか。
主のことばである律法の書を手もとに置き、読むことです。
それも一度だけ読むのではありません。一生の間読み続けるのです。
即ち、手もとに置くとは、いつも自分の一番近いところに主のことばを置いて、それに聞き従う一生を送ることです。
幸いなことに、今、私たちは手もとに主のことばである聖書を置くことができています。
それこそ、最新のツールであるスマフォを用いれば、手もとであり、手の中に握ることさえできるのです。
主のことば、聖書を握りしめ、読み続け、読み通して、一生の間、いつも親しみ続けたいものです。
シャローム