「彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に仕えたので、主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられた。」士師記 10章16節 (2017新改訳)

さばきつかさは、アビメレクの後でイスラエルを救うためにトラが、その後にはヤイルが立ち上がりました。
しかしこの頃、イスラエルは異国の神々、即ち人が作り出した偽物の神々、偶像の神々を慕い、イスラエルの神、主を捨てたのです。
主の怒りが燃え上がり、イスラエルは敵の手に渡されました。

13節では、主は、これ以上あなたがたを救わないと、語られます。
しかし、それでも主は、あわれみ深く、情け深い方。
約束を変えない方なのです。

ようやくイスラエルが悔い改めて、偶像の神々を取り去り、主に仕えたので、主は御手を動かされました。
主を繰り返して捨てて、罪を重ねた民なのですが、主は、ご自分が愛した民が苦しむのを見るに忍びなくなったのです。

義なる神は、罪を見逃すことはできません。罪をそのまま放置することができません。
しかし、義なる神は、愛なる神でもあるのです。
苦痛の中で生きるイスラエルの民を、見るに忍びなくなられたので、助けてくださるのです。

さばきの中でも、民が主を捨てて偶像の神々を慕っている最中でも、主は、民を見ていてくださったのです。

愛は、相手を見るのです。目を覆いません。目をそらしません。
そして見るに忍びなくなったその時、主は、さばきを与えた民を救うことを恥じません。
私たちの信じるまことの神の姿は、このような愛の神なのです。
今朝も、私たちを愛の目でこの方は見ていてくださるのです。なんと幸いでしょう。
シャローム