「彼が私を聖所の東向きの外の門に連れ戻すと、門は閉じていた。」エゼキエル書 44章1節

東向きの門は大切な場所です。43章の1節もこの門から始まりました。
聖所の東向きの門は、主だけが通られる門です。
人々は通ることが赦されていません。
そしてこの門があることが、主が聖所に入っておられることを示しています。
象徴的な意味のある門ですが、単なる飾りとも違います。
確かに主が入られたことを示しているのです・

そして人は祭司といえども通ることが赦されていません。
聖なる神と俗である人を分けています。
聖と俗、聖と罪を完全が完全に別れていることを示すのです。
聖である神を知ることは、私の毎日に大切なことなのです。

そして門は主が入られて、閉じられました。
主が、出て行かないことを示しています。
主が閉じてくださったのです。主が私たちとともにいてくださることを明らかにしてくださっているのです。

また、門があるということは、そこが実際に入って行く場所であることも示します。
遠くから眺めるだけの聖所、神殿ではなく、そこに行き、主と交流を持つことが赦された場所でもあるのです。
聖、完全な聖である神をあがめて、その神様との交流ができることの恵みを覚えたい。

シャローム