「しかし、彼が語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった。」使徒の働き 6章10節
彼、ステパノは信仰と聖霊に満ちた人だと5節で紹介されています。
そして使徒たちを助けて教会で人々に仕えます。
人々の生活を援助するために仕えながら、神のことばを語っていました。
使徒たちは、祈りとみことばの奉仕を優先させます。
ステパノのたちもまた、みことばを語ることをしていたのです。
その語ることばは、神様の恵に満たされた喜びの心から発して、聖霊に導かれて語りました。
その語ることばには、祭司も律法学者も長老たちも対抗することはできなかったのです。
ステパノは神のことばを語り、それとともに不思議な奇跡もおこないました。
私たちは、病の人に触れてその病を癒すことはできないと思います。
しかし、そのような奇跡はなくても、悲しむ人の傍らにいることはできます。
そのときは語らなくても御霊が働いてくださいます。
いえ、御霊に満たされていなければ悲しむ人の隣人にはなれないでしょう。
神の恵みに満たされて喜び感謝して、御霊の導きと助けを信じて、今日、私が仕事を、小さな働きをするときは、人びとの間で語る以上に語っているのだと思います。
逆の場合を考えるならば、御霊に満たされ神の喜びと平安に満ちていないときは、語るときではないのでしょう。
語るべきときも御霊が導いてくれます。語るべきことばも導いてくれます。
既に御霊によって今日の働きが備えられています。
シャローム