「あなたの町囲みの中にいるレビ人をないがしろにしてはならない。彼は、あなたと同じようには相続地を割り当てられないからである。」申命記 14章27節 (2017新改訳)

14章の前半では、ユダヤ人は神の聖なる民なので、きよくない動物は食べてはならないと命じられます。
その見分け方は、反芻する、ひづめが分かれているかの違いで分けられます。
しかし何故、その動物が汚れているのかという理由は示されません。
ただ、主がきよくないと、定めたものを、決して食べないことが求められるのです。
細かな分け方は、間違って食べてしまうことがないようにとの規定でしょう。

一方、同じ町囲みの中にいる寄留者と異国人は食べたり買ったりしても許されるのです。
その規定と、ここにあるレビ人をないがしろにしてはならないという規定に通じるものがあります。

きよくない動物を食べなくても、ユダヤ人は十分に満たされて食べることができるのです。
寄留者や異国人が食べる動物を口にしなくても、ユダヤ人が窮して食べる物がなくなることはないのです。
それを身近にいる寄留者と異国人の食事と比べても明確なのを、教えてくれるのです。

同時に、相続地を持たないレビ人を支えても、なお十分に他の11部族のユダヤ人は満たされるのです。
主の恵みは、主の厳しいと思える規定を守っても十分に注がれて満たされているのです。

与えられているもので満足し、むしろ与えられているものの中から、隣人に与える人になってもなお、乏しくなるどころか豊かになるのです。
大切なのは、主のことばを愛をもって守り、同じ町囲みに住む隣人を助けるために愛の手を伸す信仰者として生きることです。

何故、食べてはならないのかと、問う前に、何故、こんなにも豊かに与えられているのかと振り返るのです。
その時、同じ町囲みに生きる寄留者、異国人、そして同族であって相続地を持たないレビ人の存在そのものが、自分が豊かであることの証拠だと分かるのです。
与えてもなお、乏しくならないで豊かになるのが、主から受け取った恵みです。
シャローム