「しかし、イエスは彼らのただ中を通り抜けて、去って行かれた。」 ルカの福音書 4章30節
彼らとは、会堂で聖書を朗読し説き明かしをおこなったイエスさまを会堂から追い出し、町から追い出した上で、崖から突き落として殺そうとした人たちです。
また、28節によれば、聖書の説き明かしによって、自分たちが神に敵対する罪人だと指摘されたことに憤った人たちのことです。
彼らは、自分たちは選民であり、神に祝福されている者だと自負していました。
ところがイエスさまは、旧約聖書の説き明かしから、神が愛し選んでいるのは、彼らではないと指摘した訳です。
結果として彼らの心は憤りで満たされて、十戒で禁じられている私刑による殺害をしようとして、自ら罪人であることを露呈しています。
これこそ、24節で指摘される通り、預言者を排除してきた選民イスラエル人の罪そのものです。
会堂にいたみな憤り、イエスさまを殺そうとしましたが、できませんでした。
イエスさまは、彼らのただ中を、堂々と通り抜けて、去って行くのです。
神が定めた時にしか、イエスさまの死は起こりえません。
何よりも、イエスさまが、ご自分から、その愛によってその命を犠牲として献げてくださらなければ、イエスさまの死は起こりえません。
それは十字架の上にだけ起こるのです。
憤るのは、自分の罪を指摘されて、認めたくないからなのです。それこそ罪人です。
イエスさまを追い出そうとする人は、自分で自分を天の御国から追い出す人になってしまいます。
ここで神さまの愛と福音は、選民から去って行き、異邦人に届き、イエスさまを素直に愛する人へと届けられることが、この去って行くイエスさまの姿に、既に象徴的に現されていると思います。
今、私たちにこのイエスさまの愛が届いています。
私たちは自分の罪を認めて、イエスさまが語りかけてくださったことばを素直に受け止めて、信じる者として歩みたい。
いつもイエスさまとともに歩みたい。
シャローム