「その人は自分の手で主への食物のささげ物を持って行く。その脂肪を胸肉と一緒に持って行き、胸肉を奉献物として主の前で揺り動かす。」 レビ記 7章30節

29,30節は、主との交わりのいけにえについて教えます。
ここでは、自分の手で持って行くことが強調されます。
祭司が細かな規定に従って行うことよりも、自分の手で持って行くことの大切さを教えます。

罪過のためのいけにえや様々ないけにえを献げる機会がありますが、交わりのために献げるのであれば、自分の手で持って行き、主の前に進み出て礼拝することが大切です。
その時、もう一つの大切なことは、いけにえを主の前で揺り動かすのです。

ここでは、祭壇で揺り動かすという表現ではありません。
主の前なのです。
揺り動かすのは、主に目を留めてもらうためではないのです。
積極的に心から奉献物であることを、いけにえを動かして自分の心も揺り動かすのです。
他のことを忘れ、捨て去り、主にだけ心が向くようにいけにえを揺り動かすのです。

主が眠っているから起すのではありません。
いい加減な心で主の前に立っていないことを、自分で確認をするのです。
揺り動かされたいけにえは、主によって信仰を揺り動かされ、目を覚まして歩んでいる私自身の姿です。
私たちは今、聖書のことばによって揺り動かされ、新しくされて主に従い、大切な今日を歩みます。

シャローム