「というのは、あなたは必ずあなたの神、主の御声に聞き従って、私が今日あなたに命じるすべての主の命令を守り、あなたの神、主の目にかなうことを行わなければならないからである。」申命記 13章18節 (2017新改訳)

13章では、繰り返して警告します。
それは今後、約束の地の豊かな生活の中で、主ではない神々の声を聞かせる者が現れて、その声に従うと豊かになると誘うのです。
さらに、様々な場面で、神、主ではない神々に仕えようと誘惑を受けることがあるのです。
また、家族や仲間の中からも、別の神々に仕えようと誘惑する者が現れると、警告するのです。
それは一見、豊かな生活をすることができると、思わせるようなことも多いのです。

しかし、主は、そのような誘惑から自分の身を守り、誘惑する者たち、惑わせる者たちには対しては、情けをかけないで徹底的に排除し、聖絶するように命じます。

主の愛は深く、主のさばきも厳しいのです。
しかしそれは私たちに完全であれ、完璧な信仰者となれと、命じるものではありません。
主の前に、どのように歩み、主を愛するのかが問われ、求められているのです。

ここに「あなたの神、主の目にかなうことを行わなければならない」と、あります。
主の目にかなう人とは、決して失敗しない人、信じた後に、一度もそれがたとえ小さな罪であっても、罪を犯さない人というのではありません。
砕かれた心を持ち。
罪を素直に認めて、悔い改めることができ。
なによりも、主を愛し、主のことばに従おうと求める人です。

この申命記のずっと後世の信仰者であるダビデ王は、王となった後に、人生最大の罪を犯しました。
しかし、彼の死後、主は「ダビデほど、主の目にかなった者はいあない」と、言われました。
それはダビデの罪が暴れ、ダビデが悔い改めた後のことです。

私自身の目、地人の目ではなく、主の目。
主の目にかなう信仰者、主の目にかなう幸いな人に、なりたいと思います。
シャローム