「こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。」ガラテヤ人への手紙 3章24節
律法とは、荒野でモーセを通して与えられた十戒を中心としたものです。
信仰とは、イエス・キリストを救い主と信じることです。
律法を知り、律法を守ることを教えられて、私たちがそれを実践する時に、私たちは律法を完全に守り、完璧なまでにそれを行い通すことなど不可能であることを知るのです。
思い知らされるのです。
むしろ、自分が正しくないことを示されるばかりです。
ですから、律法を守って、罪が赦されて義人とされることは不可能だと知るのです。
しかし、律法がなければ私たちは自分が罪ある者だと言う自覚ができません。罪を認めることができなかったのです。
そして罪を知り、自分の力では罪が赦される方法はもはやなにも無いと知った時に、信仰が現れたのです。
信仰は、罪のない方が私の身代わりになって、罪を精算してくださったことを信じることです。
罪を思い知り。
罪が自分では解決できないと知った時に、イエス様に助けていただける道があることを知るのです。
罪を知らなければ、罪を解決できないと、律法によって知らなければイエス様にたどり着けなかったのです。
しかし、今、私たちは罪を認め、イエス様を信じる信仰を持つことができました。
律法のおかげです。それをここでは私たちをイエス様へと教え導く、養育係だと教えるのです。
養育係は大切な働きですが、そ働きは期間限定、役目が限られるのです。
私たちは今、養育係の助けを得て、本当に必要なものを得たのです。
シャローム