「幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。 しかし、みおしえを守る者は幸いである。」箴言 29章18節
ここで言う「幻」とは、実際には存在しないものという意味の幻ではありません。
預言者が神さまから与えられて受け取った「啓示」のことばを指します。
それは人が進むべき道を示すことばであり、神さまの律法もそれに含まれます。
後半の「みおしえ」は十戒を中心、基盤においた神さまの律法のことです。
突き詰めていけば、ここでの「幻」と「みおしえ」とは、神さまのことばということになります。
「神さまのことばがなければ、民は好き勝手にふるまう」
「神のさまのことばを守る者は幸いである。」と言い換えることができます。
神さまのことばに聞き従わないならば、皆が好き勝手に振る舞い、その家族、その民の中では、罪が横行します。
そして、やがて滅びるのです。
しかし、神さまのことばに従って歩むならば、祝福が与えられて幸いになるのです。
一つ前の17節では「あなたの子を戒めよ」とあります。子を神さまのことばに従って教え導くならば、その子も、家族も、その子の子もまた幸いに生きて繁栄することが示されています。
合わせて読んでいくならば、幻を持、みおしえを守るならば、自分と家族と子孫までも幸いに生きるようになるのだと教えられていることが分かります。
幻、みおしえは、私に歩むべき道とその幸いを示し、同時に、私が迷い出ることがないように守り導いてくれるのです。
みおしえに聞き従い、幻の示すところへ向って生きることは、縛られる生き方ではなく、本当の意味での自由な生き方です。
反対に幻を無視し、みおしえを破る生き方は自由な生き方にはならないのです。
それは人がそれぞれ好き勝手に生きて、罪と罪がぶつかり合い、罪が広がる生き方となっていくからです。
幻をしっかりと自分のものにし、みおしえに聞き従う者として、今日の歩みを始めたい。
シャローム